こんにちは、つぐっと(@tsugutto)です。
今回は、「100の思考実験」より8つめの問いです。
前回の問いから大分時間が空いてしまいましたね。
今回は、「海辺のピカソ」という題名の問いになります。
どんな内容になっているのでしょうか。
それでは、いってみましょう。
「海辺のピカソ」~芸術は永遠だろうか?~ 概要
ある男は散歩の途中に崖の上から崖下の砂浜に絵を描いている男を見かけた。
よく見るとその男はピカソであり、描かれているのはピカソのオリジナル作品であった。
男はとても驚き興奮したが、同時にその絵がまもなく潮が満ちて消されてしまうことを知っていた。
潮を止める方法はなく、砂をすくう方法もない。絵は守れない。
急いで家からカメラを持ってきて写真に撮ることはできるかもしれないが、それまでに波に絵がさらわれてしまうかもしれない。
それならば、絵が消えるまでの間、絵を独り占めして楽しむべきなのかもしれない。
立ち尽くして絵を眺めながら、男は笑ってよいのか、泣いてよいのかわからなくなった。
「100の思考実験 8.海辺のピカソ」より要約抜粋
芸術はどこに宿るのか?
という問題。
「海辺のピカソ」について思考する
有名な問題ですかね。
消えてしまう芸術作品をどう考えるか。
芸術とはなにか。
といった感じでしょうか。
私は芸術をほとんど理解していない人間なので、周りの人が「これは凄い芸術だ!」と騒いでいると「凄い作品なのかな?」とみる程度の人間です。
歴史的に有名な方の作品や、現代において芸術家として評価されている方の作品は、やはり凄いという評価を周りの人たちがしているから「凄い作品なんだろうな」と見ている状況です。
おそらく作者を伏せられた絵を複数並べられて「どれが一番芸術的?」と言われても世間的に一番評価されている絵は選べないでしょう。
そもそも普段から芸術作品って誰が評価を決めているんだろう?と疑問に思うことはありました。
有名な評論家の方?同じ芸術家?著名人?
おそらく、そうした権威や有名な方々が評価する作品が広く一般にも評価されることはあるのかな、と思います。
あの人がいいと言っているんだから間違いない的な。
もしくは、多くの人が共感・感動する作品が価値の高い芸術なのかな、と思います。
色々と考えると、芸術自体は人それぞれ、受け手によって変わるものなのではと考えます。
自分がいいと思えば、それは自分にとっての芸術作品たりえるのかな、と。
そして、芸術作品の価値はどこにある?といえば、基本的には本物に宿っていると考えます。
では、本物とは何か。
絵や彫刻、陶器なども本人がつくったものに価値があって、模写やコピー、贋作、写真などは価値が低いことがほとんどです。
でも、写真作品や、デジタル作品など、複製が可能な媒体の芸術作品だとどうでしょうか。また変わってきますよね。
基本的にオリジナルと差がないものを得られる状況ですからね。
写真ならネガでしょうか、デジタル作品なら最初のデータでしょうか。
文学作品は原稿に価値があるのでしょうか、いや、文章自体ですよね。
もちろん、原稿自体の価値は高いと思いますが本質は文章の方なのかなと思います。
音楽の場合は楽譜?歌詞?歌声?演奏者?オリジナル音源?生演奏?色々な要素がありますね。
問題文に戻ります。
ピカソに遭遇した男はピカソ本人と、その絵を見て衝撃を覚えました。
ピカソがすでに立ち去った状態で、書き終わったあとの砂浜に残された絵をみた場合、「何かピカソの絵に似たアート作品が描かれているな」と思いはしても、その絵を何とか残そうとまでは思わなかったんじゃないかと想像します。
芸術家本人が描いたということが証明できないのであればその価値は低くなるとでもいいましょうか。
では消えてしまう砂浜の絵に価値がなかったかといえば、それはまた違いますよね。
残らなくてもピカソが描いた絵は価値があるでしょう。
でも、ピカソが描いたことを認識できなければ、そこまでの価値がでないのではないかと思います。
そもそも、価値のある、なしはなにか。
金銭的な価値は芸術「作品」に対しての話で、「作品」が残らない芸術には金銭的な価値はないと言えるかもしれません。
でも、金銭的な価値はなくても見た人の心に訴える何かがあれば「芸術」としての価値はあるといえるのではないか。
それはそれで価値ある芸術ですよね。
お金では買えない価値があるという言葉もありますしね。
よって、今回、私が捉えた問題に対する考えとしては、
「消えてしまう砂浜のアートに芸術作品としての金銭的な価値はないが、芸術は受け手に宿るものなので自分の中に留めれば永遠に価値はある」
という結論になるでしょうか。
あなたはどんなことを考えましたか?
機会がありましたら9つ目の問いでお会いしましょう。
それでは、また。
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