【浅はかなる思考実験室】1.邪悪な魔物 ~理性で理性を疑えるだろうか?~ 100の思考実験より

思考実験 邪悪な魔物

こんにちは、つぐっと(@tsugutto)です。

思考実験って面白いですよね。

今回は、とある思考実験の問いに対する私の思考を書いてみたいと思います。

最初に問題文を掲載しますので、時間のある方はご自身でも思考してみるのも面白いと思います。

思考実験って難しい問題も多いのですが、そういった想像はしたことなかった!という条件の問いが結構あって、

問題文を読むだけでも楽しいですよね。

基本的に正解がない問いになっていますので、自分ならどう考えるか、色々と考えることが目的となります。

思考実験の内容は、「100の思考実験」という本の1つめから順番に考えてみる予定です。

100の思考実験
100の思考実験
目次

思考実験とは

まずは、そもそも思考実験とは何か?について。

「頭の中で想像するのみの実験。化学の基礎原理に反しない限りで、極度に単純・理想化された前提により遂行されることをいう。」

「ある理想的な状況を想定し、そこで理想的な実験を行ったとするとき、どのようになるかを考察することをいう。」

など、各所で色々と書かれていますが、難しいことは抜きにして、問題で出された内容を想定した時にどのようになるか、

実際に実験を行うのではなく、頭の中で色々と考えることが思考実験になります。

「100の思考実験」では、「実生活を複雑にしている様々な要因を取り除き、問題の本質をはっきり見定めること。」と書かれていますね。

浅はかなる思考実験室って?

私は思考実験で考えたことを書いていく記事シリーズを「浅はかなる思考実験室」と題しました。

思考実験の考察ブログなどを見ると、色々と難しい理論を出して、深いところまで考察している方が多い印象を受けます。

ですが、私は精通している学問分野など、ほぼ無いに等しい人間ですので、自分が生きてきて経験した中で思考する程度の薄い内容となります。

ですから「浅はかなる」思考実験室とすることにしました。

100の思考実験を終えた時、今の自分よりも深く考えることができる人間になっているのか。

これもある意味、実験かなと思っています。

それでは、いってみましょう。

「邪悪な魔物」~理性で理性を疑えるだろうか?~ 概要

疑いを差しはさむことができないほど自明なものは存在するだろうか?

わたしたちの人生が夢にすぎないとか、この世界がただの想像の産物だとかいうことはありえないだろうか?
そんな考えは途方もないとはいえ、それを想像できるという事実だけでも、この自然界の現実性が疑いうることを示している。
神が、あるいは能力にたけた邪悪な魔物が、わたしたちを欺いているとしたらどうだろう?
もし、邪悪な魔物がいるとしたら、疑いえないものなど存在するのだろうか?

「100の思考実験 1.邪悪な魔物」より抜粋

疑うことすら考えられない当たり前のモノは存在するか。

人生が実は夢とか、この世界は現実ではなくて想像でできているとか、そういう想像ができることからしても、
疑うことすらできないモノなんて存在しないのではないか。

という問題ですね。

「邪悪な魔物」について思考する

いきなり、難しいですね。

疑うことすらない当たり前のものは存在するか。

私たちよりも高次元的?な何かが、私たちを操っていたりして、誰もが疑うことなく当たり前と思っていることはあるかってことですよね。

「ある」か「ない」かで言えば、自分のみを考えるなら「ある」んじゃないですかね。

確かに、どんな些細なことにも疑問をもつことは出来ると思います。

ですが、気がついていない、気がつくことすらないモノがあれば、それを疑うことは出来ないですよね。

「じゃあ、それは何?」と聞かれると、答えられないですけど。

だって、気がついていないモノですから。

気がついた時点で疑えるわけですからね。

例えば、数字の「1」は当たり前に「1」で、誰に聞いても疑いようもなく「1」だとは思います。

疑いようのないものに見えても、なんで「1」を「1」というの?とか、何で世界共通で「1」を「1」と認識しているの?という疑問は持てます。

子供などが、どんな事にでも「なんで?」「どうして?」と聞くような内容ですね。

ただ、これは「1」を「1」とした共通認識で生きている世界でのことなので、「1」はなんで「1」か、という疑問を持つことは出来ても、その疑問の答えはどこまでいっても「1」は「1」なんだと思います。

そもそも「1」というのは…とか、「数字」というのは…という別の角度から答えは導き出せたとしても、「1」は「1」です。

そういう共通認識でもってコミュニケーションが成立している世界で生きていますからね。

「ぼくは1じゃなくて2だと思うな」とか、「1じゃなくてリンゴでもいいと思う」

などと言っても、それは世界的には通用しない話ですよね。

それこそ、世界との交流を避けた独自の文化を歩んでいる部族だったりして、その部族内だけのコミュニケーションが形成されている世界では、「1」のことを他の内容で共通認識していることはあると思いますが、私たちの所属している世界の共通認識においては「1」です。

では、世界的に「白」とされているモノを「黒」といって黒たらしめる存在がないかといえば、それはそれでありますよね。

催眠術とか、洗脳とか、そういった状態になれば、おそらく、「白」をみて「黒」と疑いなく答える人は出てくるでしょう。

「黒」と答えている本人は、疑いなく「白」を「黒」と答えていると思います。

前述の「1」についても、なんの疑いもなく操った内容、たとえば「2」と答え、なんで「1」をみて「2」と答えるのか、「2」とは何か?

なんて疑問すら持たない状態も考えられます。

ここで、最初の「自分のみを考えるなら」に繋がります。

催眠や洗脳を受けた本人は疑わずに「黒」って答えていると思います。

でも、催眠とか、洗脳を受けていない第3者から見ると、「それは黒ではなく白では?」と疑いをはさむ余地が生まれると思うのです。

そして、「黒」と言った人に「それ、本当に黒だと思ってる?」と聞けば、本人も「黒のはず…黒じゃないことがあるのか?」と、黒じゃない選択肢が存在することを認識して、疑うことを覚えるはずです。

独自の文化を歩んでいる部族も、外部から人が介入すれば、色々と知らなかった情報に触れ、違う認識が生まれることで、当たり前と思っていたことに疑問が生じるようになると思うのです。

そう、第3者がいて、違う認識が生まれれば、疑う余地が生まれるのではないでしょうか。

では、これを人間全体で捉えると、どうなるか。

人間の中に、ただの1人も第3者が存在しない共通する内容があるとするならばどうでしょうか。

それこそ、問題文の通り、人間以外の神や悪魔が、催眠や洗脳のようなもので、そうしている内容があるとするならば、第3者の介入がなく、新たな認識が生まれないモノとして「疑うことすらない当たり前のことがある」となりますよね。

でも、それがあるかは誰にもわからない。

人間の中に第3者たるものがいない内容のことですから。

ですが、人間だけを見ても「疑うことすらない当たり前のもの」が存在しているように見えることはある。

であるならば、「疑うことすらない当たり前のものは存在する」というのが、私の考えになります。

人間とコミュニケーションが取れる第3者が登場して、「人間ってさー、なんでみんな○○なの?」みたいな事態になれば、疑うことすらない当たり前のものが判明するかもしれませんね。

「邪悪な魔物」についての思考、いかがだったでしょうか。

考える人によって、考える内容は全然変わりますし、いくつもの答えがある。

それが思考実験の面白いところですよね。

あなたはどんなことを考えましたか?

機会がありましたら2つ目の問いでお会いしましょう。

それでは、また。

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